ダイヤ改正特集-寝台特急「日本海」
3/17にJRグループや小田急などでダイヤ改正が行われました。そこで、今回からはダイヤ改正特集をやりたいかと思います。第一回目は寝台特急「日本海」です。
寝台特急「日本海」
寝台特急「日本海」は1947年に大阪~青森を結ぶ急行列車として新設され、1950年に「日本海」という愛称が付けられたのがその起源になります。その後1968年に20系を使用した寝台特急に昇格しました。その後は関西と東北・北海道を結ぶ列車として活躍してきましたが、3/17からは臨時列車として乗客の多い時期にのみ運転されることになります。
まず1/2-3に京都→青森で乗車してきました。その時の記録は別に記事としてまとめてあります。この時は帰省シーズンにも変わらずあまり乗客はいませんでしたね。
http://skt-lab.com/railway/index.php?/archives/437-12-3.html
その後3月にまた乗ろうということになり、3/3-4に直江津→青森、3/4-5に青森→大阪と乗車しました。
まず下りの直江津からの乗車。東京から上越新幹線・ほくほく線経由で直江津へ向かい、乗車します。
割と一般人ぽい人が多く待合室にいましたが、「日本海」に乗車した人は少なめでしたね。「きたぐに」に乗る人が多かったのでしょうか?臨時格下げ後この待合室は夜間閉鎖になったのでしょう。
利用者はやはり大阪方面から利用する人が多かったです。一方で新津で下車するという人もいてびっくりしました。新津で「あけぼの」に乗り継いで東京に戻るのだとか。
乗車時間が遅かったのですが、それでも周りの人といろいろとやりとりしていましたね。「きたぐに」とどこですれ違うとか、青森到着後にどうするのだとか。
そして青森到着です。1月の時に比べて増結していることや撮影者が多いことで、撮影には適さなかったですね。
青森からは十和田観光電鉄を訪問しています。こちらについては後日また取り上げたいかと思います。
青森駅に戻り、今度は大阪行き「日本海」に乗車します。今度乗車するのは全国でも「日本海」のみとなった開放A寝台「オロネ24」です。
A寝台はB寝台車と異なり線路と平行にベッドが置かれます。ベッド幅はやはりB寝台より広く、一回起きた後でまた寝たくなる気分でした。
ただ、乗車したのが上段だったので窓が非常に小さく、外をあまり眺められなかったのが難点だったかな。
寝るまでは機関車の前とかに行ってみたり、A寝台車内にある座席スペースに行ったりして過ごしました。なかなか楽しい時間を迎えられましたね。
起床したのは金沢付近。金沢から車内販売が乗ってきます。寝台特急の車内販売は珍しく、「日本海」でも青森系統では乗車していません。青森での乗り換え時間が短くあまり事前の購入ができなかったので車内販売は助かります。
ここでは日本海引退記念のますのすしが売られていたので購入。「日本海」のポストカードも付いていました。
その後、車内でこの日限定の乗車記念証も配布されました。また、B寝台車を歩いているとスーツ姿の人も。話を聞くと函館で仕事をした後福井で出勤なのだとか。何度か日本海はビジネスで使用したとのこと。このようにビジネスで必要で使っている人もおり、そのため今まで残っていたのですから、新車投入で残せなかったのかと思ってしまいます。
日本海がないと小松空港から羽田経由で行くことになり、しかも福井はジェット機の飛ぶ空港から遠いのでかなり不便になってしまいますね。
走行しているうちに敦賀到着。ここでは機関車交換です。交換前も交換後も機関車は同じEF81なのですが、車両基地が敦賀にある関係でこちらで交換することになります。雨が降っていたので写真はうまく撮れませんでしたが。
敦賀を出るとラストスパートです。ここからは敦賀~新疋田間のループ線や琵琶湖の説明などが車内放送で行われていました。また、大阪到着前は「日本海」の歴史などの放送もあったりして、車内放送だけでも相当楽しめましたね。そして大阪に到着しお別れです。
最終日からある程度離れた時期に乗車したのですが、最終日のような雰囲気が味わえて楽しめましたね。
その後は新大阪駅や大阪駅で撮影を行っています。
大阪駅では青森行き最終の定期「日本海」を撮影しました。撮影客と新快速の乗客を分離するために新快速の発着ホームを変更したりして混乱を防いでいました。
「日本海」は今後も臨時列車として運転されますが、GWシーズンの運転日が少ないのが気になります。また、運転時間も長くなり、A寝台も連結されなくなります。食料の調達がますます課題となりそうですね。ですが、できるだけ長く走ってほしいものです。
まず1/2-3に京都→青森で乗車してきました。その時の記録は別に記事としてまとめてあります。この時は帰省シーズンにも変わらずあまり乗客はいませんでしたね。
http://skt-lab.com/railway/index.php?/archives/437-12-3.html
その後3月にまた乗ろうということになり、3/3-4に直江津→青森、3/4-5に青森→大阪と乗車しました。
まず下りの直江津からの乗車。東京から上越新幹線・ほくほく線経由で直江津へ向かい、乗車します。
直江津駅での「日本海」「きたぐに」案内表示
利用者はやはり大阪方面から利用する人が多かったです。一方で新津で下車するという人もいてびっくりしました。新津で「あけぼの」に乗り継いで東京に戻るのだとか。
乗車時間が遅かったのですが、それでも周りの人といろいろとやりとりしていましたね。「きたぐに」とどこですれ違うとか、青森到着後にどうするのだとか。
そして青森到着です。1月の時に比べて増結していることや撮影者が多いことで、撮影には適さなかったですね。
青森到着
青森駅に戻り、今度は大阪行き「日本海」に乗車します。今度乗車するのは全国でも「日本海」のみとなった開放A寝台「オロネ24」です。
A寝台に乗車
A寝台はB寝台車と異なり線路と平行にベッドが置かれます。ベッド幅はやはりB寝台より広く、一回起きた後でまた寝たくなる気分でした。
ただ、乗車したのが上段だったので窓が非常に小さく、外をあまり眺められなかったのが難点だったかな。
A寝台ベッド内
寝るまでは機関車の前とかに行ってみたり、A寝台車内にある座席スペースに行ったりして過ごしました。なかなか楽しい時間を迎えられましたね。
起床したのは金沢付近。金沢から車内販売が乗ってきます。寝台特急の車内販売は珍しく、「日本海」でも青森系統では乗車していません。青森での乗り換え時間が短くあまり事前の購入ができなかったので車内販売は助かります。
ここでは日本海引退記念のますのすしが売られていたので購入。「日本海」のポストカードも付いていました。
日本海引退記念ますのすし
その後、車内でこの日限定の乗車記念証も配布されました。また、B寝台車を歩いているとスーツ姿の人も。話を聞くと函館で仕事をした後福井で出勤なのだとか。何度か日本海はビジネスで使用したとのこと。このようにビジネスで必要で使っている人もおり、そのため今まで残っていたのですから、新車投入で残せなかったのかと思ってしまいます。
日本海がないと小松空港から羽田経由で行くことになり、しかも福井はジェット機の飛ぶ空港から遠いのでかなり不便になってしまいますね。
走行しているうちに敦賀到着。ここでは機関車交換です。交換前も交換後も機関車は同じEF81なのですが、車両基地が敦賀にある関係でこちらで交換することになります。雨が降っていたので写真はうまく撮れませんでしたが。
敦賀駅で切り離されたEF81
敦賀を出るとラストスパートです。ここからは敦賀~新疋田間のループ線や琵琶湖の説明などが車内放送で行われていました。また、大阪到着前は「日本海」の歴史などの放送もあったりして、車内放送だけでも相当楽しめましたね。そして大阪に到着しお別れです。
最終日からある程度離れた時期に乗車したのですが、最終日のような雰囲気が味わえて楽しめましたね。
その後は新大阪駅や大阪駅で撮影を行っています。
3/16 新大阪駅に到着する大阪行き「日本海」
大阪駅では青森行き最終の定期「日本海」を撮影しました。撮影客と新快速の乗客を分離するために新快速の発着ホームを変更したりして混乱を防いでいました。
最終日大阪駅を出発する「日本海」
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