【乗車記録】北陸 富山→上野
乗車したのは2006年10月、神岡鉄道廃止直前のことです。神岡鉄道に乗車後に乗ったという形になります。上野到着後は駅前の24時間営業マクドナルド(当時は早朝営業だけだったかもしれませんが…)で朝食を食べ、都営三田線春日駅で5200形引退記念パスネットを購入し、そのまま勤務先へ向かうという形でした。
この列車は個室全盛期に「ソロ」を複数両連結し、さらに「シングルデラックス」とシャワー室も設置しました。さらに越後湯沢(ほくほく線開業前は長岡)乗り継ぎの新幹線と共通で使える割引切符を発売するなど行い、いまなお高い乗車率を保っています。また、新幹線+「はくたか」の最終便と早朝便の間を走ることもあり、夜行列車としては実に理想的な形で展開されたといえるでしょう。
新幹線が開業が遅れたことや首都圏~北陸ではJR東日本と西日本が協力関係にあることがこの成果に結びついたといえるでしょう。
私が乗車した時はソロを希望していたのですが、売り切れということで開放B寝台車に変更しました。北陸のソロは全盛期の5両よりは少なくなったものの3両連結されており、需要の高さを物語っています。
さらに、姉妹列車として同一区間を走る「能登」もあり、こちらは489系ボンネット車で走り寝台の「北陸」に対し座席車として運転されています。そのときの状況に応じて「北陸」と「能登」を使い分けることができるということであり、「横になって眠れる」という「北陸」の価値を最大限にアピールしているといえます。私はいつもは「能登」を使用していたのですが、その日は次の日が仕事だったので横になって眠れる「北陸」を選択したのです。
ただ、乗車時間が短いということでせっかくのシャワーなどの設備は利用せず、富山出発後すぐにベッドに眠ってしまいました。目が覚めたら大宮を過ぎていたかどうかという状態だったので、「あっという間」という感じでした。この「あっという間」間も「北陸」という列車の特徴であるといえるでしょう。
夜行列車は相次いで削減されていますが、「北陸」は2014年の北陸新幹線開業まで首都圏~富山・金沢を乗り換えなしで結ぶ列車として走り続けます。
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