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廃線特集-長電屋代線

前回十和田観光を取り上げましたので、今回は長電屋代線を取り上げることになります。こちらは最終日となる3/31に行ってきました。
屋代線お別れ記念ヘッドマークを付けた3500系



長電屋代線は長野電鉄の発祥路線として1922年に開業しました。信越本線が県庁所在地の長野を通るルートになったため、千曲川の東側と信越本線を結ぶ線として開業しました。当初はこちらがメインルートで、木島線が廃線になる前は屋代~木島間の正式名称は「河東線」と言っていました。

一方で長野電鉄では須坂から県庁所在地へ向かう長野線の利用が多く、従来の屋代ルートは次第に衰退に向かっていきます。信越本線とは屋代・長野の両駅で接続しており、乗り換えは地下駅である長野よりも地上駅である屋代の方が楽なのですが、地域内で完結する流れは長野へ向かっており、そちらにまとめた方が効率的という事情もありました。そして今回の廃線につながったことになります。

当日は新幹線で長野駅へ向かい、長野から須坂経由で屋代線に入ります。最終日ということもあり、須坂駅での乗り換え客は非常に多かったです。
「屋代」の行先表示
この列車は屋代線としては異例の3両編成で、途中駅では一部のドアが開きません。途中の松代駅で下車しつつ屋代駅へ向かいます。松代駅では駅前でイベントが開かれていたほか、写真の展示も行われていました。

屋代駅ではかつての屋代線直通急行を再現した「リバイバル志賀」がしなの鉄道によって運転され、その車両が停車していました。今回は屋代線直通は行いませんが、屋代駅で屋代線の列車と接続します。
169系「リバイバル志賀」
屋代線は屋代駅で信越本線と線路がつながっている特性を活用し、上野から直通の急行を走らせたり、貨物列車を走らせたりしてにぎわっていました。その後直通列車がなくなると特急の発着する長野駅経由がメインとなりました。
長野駅付近は地下化されており乗り換えは屋代駅に比べて不便なのですが、長距離客よりも地域の利用客の利便性を重んじた結果と言えるでしょう。

このあたりで雪が降ってきました。3月も末になって雪が降るというのもすごいですね。標高が高いので珍しくないのかもしれませんが。雪の中「リバイバル志賀」の出発を見送り、屋代線に戻ります。


その後途中の信濃川田駅で途中下車。こちらには保存車両が展示されています。廃線後一部の車両を整備して展示するのだとか。
信濃川田駅の保存車両

一旦松代駅へ戻り、「ゆけむり」を使用した急行で折り返します。普段入線しない車両が屋代線を走るということで、車内はかなりにぎわっていました。
松代駅で並ぶ屋代線電車とゆけむり

須坂に到着後、雨が止んだこともありもう1往復してみます。これが最後の屋代線乗車となりました。
「屋代方面のりば」の表示
途中の松代駅では生放送の中継が入りました。また東屋代駅では新幹線と交差します。こちらに新幹線の駅があれば屋代線も存続できたのでしょうが、一方で長野経由と東屋代経由の2ルートを整備しなければならないという事情もあり、どちらが良かったのかというのは議論が分かれそうです。

そして、この日は特急車として活躍してきた2000系D編成のラストの日でもあります。
須坂駅でスタンバイする2000系

当日は屋代線を走る団体列車として須坂~屋代間を往復しました。夜間なので写真はうまく撮影できませんでしたが…。

その後「スノーモンキー」で長野駅へ向かい、最終の新幹線で東京駅に戻りました。

長野電鉄は今後長野~湯田中を結ぶのみの鉄道となります。ですが、須坂や信州中野といった都市や湯田中温泉を抱えており、需要の見込める区間ですので、今後も長く存続していくことでしょう。


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