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【乗車記録】2006/03/17 出雲:出雲市→東京

2006年3月17日に「出雲」が廃止になることになり、そちらにも乗車いたしました。寝台列車の本当の最終日に乗車したのはこのときが初となります。
DD51の牽引する寝台特急「出雲」号

 この「出雲」号は東京~出雲市を結ぶ列車で、東京駅発のブルートレインとしては最後まで2往復体制を維持していた列車でした。かつては1往復が出雲市より先の「浜田」まで足を延ばしていました。新幹線も高速道路も不便な場所を結んでいたこともあり、東京駅発の寝台特急としては高い乗車率を保っていました。

 その後、1998年に1往復が「サンライズ」化されますが、サンライズは電車形式で製造されました。ですが山陰本線は城崎(温泉)~伯耆大山が電化されておらず、電車では走ることができません。このことからもう1往復は客車で残されることになります。この時点で将来的に廃止が見えていたのは確かなのですが、2006年まで京都府・兵庫県北部や鳥取県と東京を乗り換えなしで結ぶ貴重な足として残されることになります。

 そういったこともあり、廃止直前には沿線自治体から廃止反対の表明がありました。結果として「出雲」は残らず智頭急行経由でサンライズに接続する特急列車が設定されることになりました。特に下りは早起きして上郡で乗り換えなければならないこともあり、乗車率はあまりよくありませんが、寝台特急削減による利用者への影響に一石を投じたことは確かでしょう。

 この「出雲」はDD51オリジナル色やEF65PF型が牽引するブルートレインとしても人気がありました。また、食堂車も「出雲」のために星空調にリニューアルしたものを使用しているほか、かつて博多「あさかぜ」に使用されていた金帯車の一部が「出雲」に転用されていました。

「出雲」に使用された金帯車両
「出雲」用にリニューアルされた食堂車

 もっとも、食堂車は1991年に営業休止しており、その後はフリースペースとして使用されていました。乗車した時は最終日ということもあり、夜遅くまでにぎわっていた記憶があります。

 乗車時には車掌から記念オレンジカードを購入したり、同乗者といろいろな話をしたりと和気あいあいな感じで活動していました。このようなことが許されるのも最終日間際だからといえるでしょう。
 途中餘部鉄橋を渡った時は既に暗くなっていたのですが、地面が一瞬明るくなったような感じがして神秘的な感じがしたことを覚えています。

 山陰本線区間での時間が長く、起きたときにはすでに大船のあたりだったことを覚えています。山陰区間各地で利便性の高いダイヤを組んでいたといえるでしょう。このことからも「出雲」の役割がうかがえます。

 現在、東京と山陰を結ぶ足としては「サンライズ出雲」が伯備線経由で東京と出雲市を結んでおり、上郡でも鳥取方面への接続特急列車があります。サンライズの目的は新幹線から離れた地域と東京を乗り換えなしで結ぶ列車を残すことにあったと言え、鳥取への列車接続(この場合は上郡での乗り換えが必要になりますが)でその役割が広がったといえるでしょう。

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